小林正観さんの近江高天原説-その1
小林正観さんはなぜ近江に高天原があると言うのでしょうか?
以下に説明を語っています。
「私は旅行作家としては、高天原は近江平野だったという結論なんですよ。
近江平野、湖東平野ですね、琵琶湖の東側。
旅行作家としてはいろんな歴史的な文献も調べるんですけども、完全な形で残っている風土記が二つあって、『常陸(ひたち)国風土記』と『出雲国風土記』。
『出雲国風土記』には出雲の国が一番の大国になったときに支配していた国と地名が全部載っています。
その『出雲国風土記』の中に、地名が抜け落ちているところが一箇所あるんです。
それが近江湖東平野で、琵琶湖周辺は支配地域の中に入っていない。
多分ここが高天原だったんだろうと私は推測しています。」
『出雲国風土記』で支配をしたというのは、須佐之男命と大国主命のことです。
その領土は、南は九州全土、四国全土、中国、近畿、中部、北は新潟の糸魚川あたり、そこから南に富士、伊豆半島までになります。
当時の日本の国土はそこまでが全てでした。
この二人の神は出雲族と言われ、高天原の天照大神をはじめとする天皇族とは違った種類の神でした。
しかし、出雲の広大な領土の中に、内部にありながらポカンと穴が空いている領土があります。
それが、近江・湖東平野だと言うのです。
小林正観さんは古事記の中から高天原近江説を挙げていました。
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