白鬚神社の三尾山
2013年6月5日
白鬚神社の山上の三尾山の磐座を散策しました。
場所はこちら
大きな地図で見る
高島市にある滋賀県最古の神社、白鬚神社は前回に一度行きました。



その詳細はこちら
↓
http://omiiwakura358.shiga-saku.net/e815633.html
神社の境内には磐座がひとつありましたが、その記事を見た地元の方が、山の上に磐座があると教えていただき、案内していただきました。
場所はこちらです

JR湖西線、近江高島駅で情報をくれた方と会いました。

駅の奥に見える山上の鉄塔あたりに磐座があります。
登山出発は、日吉神社のところです。
まずはお参りをしてから出発です。

歩いてすぐのところにタンクがあり、目的地の鉄塔が見えます。

ここから高島市の景色がキレイに見えます。

ここには、『打下(うちおろし)古墳』というのがあり、5世紀の男性の人骨が見つかったそうです。
その当時、文明がここにあったと思うと、ロマンが広まります。
ここから山道に入っていき、登山をしていきます。

道といっても、人はほとんど通りません。
ほんとうに地元の人がたまに登るだけという山道で、草木を薙ぎながら道案内をしてくれました。
教えていただかないと絶対にわからない道です。
山中には大小の岩がゴロゴロと転がっていました。



上の写真の岩は、実は集積された岩たちだそうです。
聞くところによると、もともと大きい岩だったのを人の手によって割って、石垣などに使うために山から下ろして運んだあとだそうです。
時代は不詳ですが、歴史ある集積の岩です。

これは『石切り場』といって、奥にある大きな岩を割って、手前にある広い場所でさらに細かく砕いだ場所だそうです。
江戸時代以降と思われますが、それが証拠に、運ぶのに使ったという後が岩に残ったりもしていました。
そう教えてられ、言われてみれば似たようなところは今まで登った山にもあったので、それらも同じく人の手で割られた岩なんだろうと知りました。

この盛り上がった地面(土橋、土塁)も、人口のものらしいです。
それもはるか昔、江戸時代か、それ以前か・・・・
なぜ作られたかは分かっていないそうです。
さらに登ると水たまり場があり、雨が降って水がたまれば、動物たちが水を飲みにやってくるそうです。

登り始めること1時間ほどすると、目的の磐座に近づいてきました。

ここにも土橋があり、それを歩いて先に進んでいくと、磐座が見えてきました。

奥に大きな岩が見えてきた。
先に進むと・・・・

積み上げられた大きな巨石がありました。
まさに磐座です!!
一つの大きな磐座というよりも、中規模の巨石が積み上げられ、ピラミッドのようになっていました。
人力で積むには不可能な巨石に、ここに白鬚の神様が君臨したのだろうと考えられます。


この磐座の集まりから、20mほど離れたところの目下にも磐座があります。

2つのつながりの方角を見ると、ほぼ真南になります。
その先には白鬚神社境内にある磐座と直線で繋がっていました。

もともと白鬚神社はこの山頂の磐座が信仰の対象だったのでしょう。
それを人びとがお参りしやすいようにと、山の下に本殿を持っていったのが今のかたちになっていると考えられます。
この磐座から下の景色がキレイに見えました。

磐座から少しはなれたところに、下から見えた鉄塔もありました。

今回は案内していただき、教えていただかないと絶対に知ることができない磐座を見せていただき、ほんとうに感謝です。
初めて知ることも多くあり、これからの磐座や山中を見る目が変わってきそうです。
おまけに、下山するとすぐそばには琵琶湖が晴天でキレイに大きく広がっていました
(^0^)/

白鬚神社の山上の三尾山の磐座を散策しました。
場所はこちら
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高島市にある滋賀県最古の神社、白鬚神社は前回に一度行きました。



その詳細はこちら
↓
http://omiiwakura358.shiga-saku.net/e815633.html
神社の境内には磐座がひとつありましたが、その記事を見た地元の方が、山の上に磐座があると教えていただき、案内していただきました。
場所はこちらです
JR湖西線、近江高島駅で情報をくれた方と会いました。

駅の奥に見える山上の鉄塔あたりに磐座があります。
登山出発は、日吉神社のところです。
まずはお参りをしてから出発です。

歩いてすぐのところにタンクがあり、目的地の鉄塔が見えます。

ここから高島市の景色がキレイに見えます。

ここには、『打下(うちおろし)古墳』というのがあり、5世紀の男性の人骨が見つかったそうです。
その当時、文明がここにあったと思うと、ロマンが広まります。
ここから山道に入っていき、登山をしていきます。

道といっても、人はほとんど通りません。
ほんとうに地元の人がたまに登るだけという山道で、草木を薙ぎながら道案内をしてくれました。
教えていただかないと絶対にわからない道です。
山中には大小の岩がゴロゴロと転がっていました。



上の写真の岩は、実は集積された岩たちだそうです。
聞くところによると、もともと大きい岩だったのを人の手によって割って、石垣などに使うために山から下ろして運んだあとだそうです。
時代は不詳ですが、歴史ある集積の岩です。

これは『石切り場』といって、奥にある大きな岩を割って、手前にある広い場所でさらに細かく砕いだ場所だそうです。
江戸時代以降と思われますが、それが証拠に、運ぶのに使ったという後が岩に残ったりもしていました。
そう教えてられ、言われてみれば似たようなところは今まで登った山にもあったので、それらも同じく人の手で割られた岩なんだろうと知りました。

この盛り上がった地面(土橋、土塁)も、人口のものらしいです。
それもはるか昔、江戸時代か、それ以前か・・・・
なぜ作られたかは分かっていないそうです。
さらに登ると水たまり場があり、雨が降って水がたまれば、動物たちが水を飲みにやってくるそうです。

登り始めること1時間ほどすると、目的の磐座に近づいてきました。

ここにも土橋があり、それを歩いて先に進んでいくと、磐座が見えてきました。

奥に大きな岩が見えてきた。
先に進むと・・・・

積み上げられた大きな巨石がありました。
まさに磐座です!!
一つの大きな磐座というよりも、中規模の巨石が積み上げられ、ピラミッドのようになっていました。
人力で積むには不可能な巨石に、ここに白鬚の神様が君臨したのだろうと考えられます。


この磐座の集まりから、20mほど離れたところの目下にも磐座があります。

2つのつながりの方角を見ると、ほぼ真南になります。
その先には白鬚神社境内にある磐座と直線で繋がっていました。

もともと白鬚神社はこの山頂の磐座が信仰の対象だったのでしょう。
それを人びとがお参りしやすいようにと、山の下に本殿を持っていったのが今のかたちになっていると考えられます。
この磐座から下の景色がキレイに見えました。

磐座から少しはなれたところに、下から見えた鉄塔もありました。

今回は案内していただき、教えていただかないと絶対に知ることができない磐座を見せていただき、ほんとうに感謝です。
初めて知ることも多くあり、これからの磐座や山中を見る目が変わってきそうです。
おまけに、下山するとすぐそばには琵琶湖が晴天でキレイに大きく広がっていました
(^0^)/

白鬚神社
2012年7月4日
白鬚神社(しらひげじんじゃ)に行ってきました。
場所はこちら
大きな地図で見る
今までの磐座研究の場所は琵琶湖の東にありましたが、この神社は西側、それもかなり北の方にあります。
白鬚神社は近江国では最古の神社です。
西暦25年垂仁天皇(すいにんてんのう)の時代に、倭姫命(やまとひめのみこと)によって社殿を創建したのに始まります。
そして1603年、豊臣秀吉の妻と子の豊臣秀頼と淀殿によって本殿が設立されました。
琵琶湖と山に挟まれた白鬚神社の本殿の写真です。

この本殿から180度後ろを向いた写真です。

広島・安芸の宮島の厳島神社と同じように、琵琶湖の中に立っている鳥居。
鳥居の奥に見える島は沖島で、その奥には琵琶湖反対側の近江八幡市・長命寺のあたりになります。
ちなみに、この鳥居から見える朝日は有名で、某新聞社で日の出がキレイな場所ランク近畿地区1位になってました。

さて、今回は神社紹介だけの記事ではなく、この神社に磐座があるんです!!
本殿の奥に行くと階段があり、奥にも摂社があります。

3つ並んだ摂社のさらに奥に進みます。

2つ並んだ摂社のさらに奥に進みます。

奥宮が見えてきました。
その右側になにやら大きな岩があります。
近づいていきますと・・・・

なんと、巨大な磐座がありました。
見事なまでにキレイに三角に切り立っています。

後ろから見ると・・・・

柵がされ、しめ縄もされていて、白鬚神社でのこの岩の重要性を語っています。
神社の奥に1つだけある巨大な磐座、キレイに切り立った面がどこを向いているのかが気になりました。

右と左に向いた面、そして中央の矢印のようになっているのは地図のようになります。

上の赤丸が白鬚神社です。
左に向いている面は「比叡山・延暦寺」を向いています。
右に向いている面は「安土山」「鏡山」「太郎坊」を向いています。
白鬚神社の本殿、摂社、鳥居すべての向きはこの面と同じ向きになっています。
そして、中央の矢印はほぼ「三上山」を向いています。
これが何を意味するのかはまだわかりませんが、近江国最古の神社にも磐座があるというのは興味深い事実です。
(o゚▽゚)o
白鬚神社(しらひげじんじゃ)に行ってきました。
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今までの磐座研究の場所は琵琶湖の東にありましたが、この神社は西側、それもかなり北の方にあります。
白鬚神社は近江国では最古の神社です。
西暦25年垂仁天皇(すいにんてんのう)の時代に、倭姫命(やまとひめのみこと)によって社殿を創建したのに始まります。
そして1603年、豊臣秀吉の妻と子の豊臣秀頼と淀殿によって本殿が設立されました。
琵琶湖と山に挟まれた白鬚神社の本殿の写真です。

この本殿から180度後ろを向いた写真です。

広島・安芸の宮島の厳島神社と同じように、琵琶湖の中に立っている鳥居。
鳥居の奥に見える島は沖島で、その奥には琵琶湖反対側の近江八幡市・長命寺のあたりになります。
ちなみに、この鳥居から見える朝日は有名で、某新聞社で日の出がキレイな場所ランク近畿地区1位になってました。

さて、今回は神社紹介だけの記事ではなく、この神社に磐座があるんです!!
本殿の奥に行くと階段があり、奥にも摂社があります。

3つ並んだ摂社のさらに奥に進みます。

2つ並んだ摂社のさらに奥に進みます。

奥宮が見えてきました。
その右側になにやら大きな岩があります。
近づいていきますと・・・・

なんと、巨大な磐座がありました。
見事なまでにキレイに三角に切り立っています。

後ろから見ると・・・・

柵がされ、しめ縄もされていて、白鬚神社でのこの岩の重要性を語っています。
神社の奥に1つだけある巨大な磐座、キレイに切り立った面がどこを向いているのかが気になりました。

右と左に向いた面、そして中央の矢印のようになっているのは地図のようになります。

上の赤丸が白鬚神社です。
左に向いている面は「比叡山・延暦寺」を向いています。
右に向いている面は「安土山」「鏡山」「太郎坊」を向いています。
白鬚神社の本殿、摂社、鳥居すべての向きはこの面と同じ向きになっています。
そして、中央の矢印はほぼ「三上山」を向いています。
これが何を意味するのかはまだわかりませんが、近江国最古の神社にも磐座があるというのは興味深い事実です。
(o゚▽゚)o