白鬚神社の三尾山
2013年06月07日
2013年6月5日
白鬚神社の山上の三尾山の磐座を散策しました。
場所はこちら
大きな地図で見る
高島市にある滋賀県最古の神社、白鬚神社は前回に一度行きました。
その詳細はこちら
↓
http://omiiwakura358.shiga-saku.net/e815633.html
神社の境内には磐座がひとつありましたが、その記事を見た地元の方が、山の上に磐座があると教えていただき、案内していただきました。
場所はこちらです
JR湖西線、近江高島駅で情報をくれた方と会いました。
駅の奥に見える山上の鉄塔あたりに磐座があります。
登山出発は、日吉神社のところです。
まずはお参りをしてから出発です。
歩いてすぐのところにタンクがあり、目的地の鉄塔が見えます。
ここから高島市の景色がキレイに見えます。
ここには、『打下(うちおろし)古墳』というのがあり、5世紀の男性の人骨が見つかったそうです。
その当時、文明がここにあったと思うと、ロマンが広まります。
ここから山道に入っていき、登山をしていきます。
道といっても、人はほとんど通りません。
ほんとうに地元の人がたまに登るだけという山道で、草木を薙ぎながら道案内をしてくれました。
教えていただかないと絶対にわからない道です。
山中には大小の岩がゴロゴロと転がっていました。
上の写真の岩は、実は集積された岩たちだそうです。
聞くところによると、もともと大きい岩だったのを人の手によって割って、石垣などに使うために山から下ろして運んだあとだそうです。
時代は不詳ですが、歴史ある集積の岩です。
これは『石切り場』といって、奥にある大きな岩を割って、手前にある広い場所でさらに細かく砕いだ場所だそうです。
江戸時代以降と思われますが、それが証拠に、運ぶのに使ったという後が岩に残ったりもしていました。
そう教えてられ、言われてみれば似たようなところは今まで登った山にもあったので、それらも同じく人の手で割られた岩なんだろうと知りました。
この盛り上がった地面(土橋、土塁)も、人口のものらしいです。
それもはるか昔、江戸時代か、それ以前か・・・・
なぜ作られたかは分かっていないそうです。
さらに登ると水たまり場があり、雨が降って水がたまれば、動物たちが水を飲みにやってくるそうです。
登り始めること1時間ほどすると、目的の磐座に近づいてきました。
ここにも土橋があり、それを歩いて先に進んでいくと、磐座が見えてきました。
奥に大きな岩が見えてきた。
先に進むと・・・・
積み上げられた大きな巨石がありました。
まさに磐座です!!
一つの大きな磐座というよりも、中規模の巨石が積み上げられ、ピラミッドのようになっていました。
人力で積むには不可能な巨石に、ここに白鬚の神様が君臨したのだろうと考えられます。
この磐座の集まりから、20mほど離れたところの目下にも磐座があります。
2つのつながりの方角を見ると、ほぼ真南になります。
その先には白鬚神社境内にある磐座と直線で繋がっていました。
もともと白鬚神社はこの山頂の磐座が信仰の対象だったのでしょう。
それを人びとがお参りしやすいようにと、山の下に本殿を持っていったのが今のかたちになっていると考えられます。
この磐座から下の景色がキレイに見えました。
磐座から少しはなれたところに、下から見えた鉄塔もありました。
今回は案内していただき、教えていただかないと絶対に知ることができない磐座を見せていただき、ほんとうに感謝です。
初めて知ることも多くあり、これからの磐座や山中を見る目が変わってきそうです。
おまけに、下山するとすぐそばには琵琶湖が晴天でキレイに大きく広がっていました
(^0^)/
白鬚神社の山上の三尾山の磐座を散策しました。
場所はこちら
大きな地図で見る
高島市にある滋賀県最古の神社、白鬚神社は前回に一度行きました。
その詳細はこちら
↓
http://omiiwakura358.shiga-saku.net/e815633.html
神社の境内には磐座がひとつありましたが、その記事を見た地元の方が、山の上に磐座があると教えていただき、案内していただきました。
場所はこちらです
JR湖西線、近江高島駅で情報をくれた方と会いました。
駅の奥に見える山上の鉄塔あたりに磐座があります。
登山出発は、日吉神社のところです。
まずはお参りをしてから出発です。
歩いてすぐのところにタンクがあり、目的地の鉄塔が見えます。
ここから高島市の景色がキレイに見えます。
ここには、『打下(うちおろし)古墳』というのがあり、5世紀の男性の人骨が見つかったそうです。
その当時、文明がここにあったと思うと、ロマンが広まります。
ここから山道に入っていき、登山をしていきます。
道といっても、人はほとんど通りません。
ほんとうに地元の人がたまに登るだけという山道で、草木を薙ぎながら道案内をしてくれました。
教えていただかないと絶対にわからない道です。
山中には大小の岩がゴロゴロと転がっていました。
上の写真の岩は、実は集積された岩たちだそうです。
聞くところによると、もともと大きい岩だったのを人の手によって割って、石垣などに使うために山から下ろして運んだあとだそうです。
時代は不詳ですが、歴史ある集積の岩です。
これは『石切り場』といって、奥にある大きな岩を割って、手前にある広い場所でさらに細かく砕いだ場所だそうです。
江戸時代以降と思われますが、それが証拠に、運ぶのに使ったという後が岩に残ったりもしていました。
そう教えてられ、言われてみれば似たようなところは今まで登った山にもあったので、それらも同じく人の手で割られた岩なんだろうと知りました。
この盛り上がった地面(土橋、土塁)も、人口のものらしいです。
それもはるか昔、江戸時代か、それ以前か・・・・
なぜ作られたかは分かっていないそうです。
さらに登ると水たまり場があり、雨が降って水がたまれば、動物たちが水を飲みにやってくるそうです。
登り始めること1時間ほどすると、目的の磐座に近づいてきました。
ここにも土橋があり、それを歩いて先に進んでいくと、磐座が見えてきました。
奥に大きな岩が見えてきた。
先に進むと・・・・
積み上げられた大きな巨石がありました。
まさに磐座です!!
一つの大きな磐座というよりも、中規模の巨石が積み上げられ、ピラミッドのようになっていました。
人力で積むには不可能な巨石に、ここに白鬚の神様が君臨したのだろうと考えられます。
この磐座の集まりから、20mほど離れたところの目下にも磐座があります。
2つのつながりの方角を見ると、ほぼ真南になります。
その先には白鬚神社境内にある磐座と直線で繋がっていました。
もともと白鬚神社はこの山頂の磐座が信仰の対象だったのでしょう。
それを人びとがお参りしやすいようにと、山の下に本殿を持っていったのが今のかたちになっていると考えられます。
この磐座から下の景色がキレイに見えました。
磐座から少しはなれたところに、下から見えた鉄塔もありました。
今回は案内していただき、教えていただかないと絶対に知ることができない磐座を見せていただき、ほんとうに感謝です。
初めて知ることも多くあり、これからの磐座や山中を見る目が変わってきそうです。
おまけに、下山するとすぐそばには琵琶湖が晴天でキレイに大きく広がっていました
(^0^)/
Posted by 近江磐座研究会 at 23:18│Comments(2)
│白鬚神社
この記事へのコメント
初めまして。こちらの購読をさせて頂きた津神と申します。旧姓が『磐』と書いて、いわおと読みます。
> 自分のご先祖様の事が知りたくて、調べていたら、ここのサイトにたどりつきました。
> 先ほど、少し読ませて頂いて白髭神社に興味がわき今年中に伊勢に行く時に行ってみたいと思います。
> 磐とゆう、みよじは全国にもあまりいませんが何かご存知でしょうか?もし、知っている事がございましたら教えて頂きたくコメントしました。宜しくお願いします。
>
> 自分のご先祖様の事が知りたくて、調べていたら、ここのサイトにたどりつきました。
> 先ほど、少し読ませて頂いて白髭神社に興味がわき今年中に伊勢に行く時に行ってみたいと思います。
> 磐とゆう、みよじは全国にもあまりいませんが何かご存知でしょうか?もし、知っている事がございましたら教えて頂きたくコメントしました。宜しくお願いします。
>
Posted by 磐 at 2013年09月11日 18:55
津神さん、コメントありがとうございます。
『いわくら』という読み方で、「岩倉」とも「岩鞍」とも「磐座」とも感じを書きますが、
「磐座」の漢字で書く岩は、神が君臨した岩ということや、岩自体が信仰の対象になっているものです。
「磐」=「神」と捉えることもできるかもしれません。
そう考えると、津神さんは、今の性も旧姓も「神」が関係している名前で、非常に興味深いですね(^^)
残念ながら、磐という苗字は私も知りませんが、ご先祖は山麓にある神社の宮司さんだったとか、磐座のある山岳信仰者だったとか、そんなことが考えれれます。
私の勝手な想像ですが、何かの参考にしていただければ幸いです。
☆ありがとうございます☆
『いわくら』という読み方で、「岩倉」とも「岩鞍」とも「磐座」とも感じを書きますが、
「磐座」の漢字で書く岩は、神が君臨した岩ということや、岩自体が信仰の対象になっているものです。
「磐」=「神」と捉えることもできるかもしれません。
そう考えると、津神さんは、今の性も旧姓も「神」が関係している名前で、非常に興味深いですね(^^)
残念ながら、磐という苗字は私も知りませんが、ご先祖は山麓にある神社の宮司さんだったとか、磐座のある山岳信仰者だったとか、そんなことが考えれれます。
私の勝手な想像ですが、何かの参考にしていただければ幸いです。
☆ありがとうございます☆
Posted by 近江磐座研究会 at 2013年09月12日 21:09