船岡山
2012年01月25日
2011年1月26日
第1回近江磐座研究会の探索場所は東近江市の船岡山です。
場所はこちら
↓
大きな地図で見る
山と言っても、広くて少し高い公園のような感じで、登るという感じはありませんでした。
入り口のところにあった鳥居と祠(ほこら)にさっそく磐座がありました。
岩に囲まれた祠に人為的に出来たような感じでした。
船岡山は万葉の森と呼ばれていて、天智天皇7年(668年)大津京があった頃、天皇一家や侍女達が大津から船に乗り、この地で男は鹿の袋角をとり、女は薬草狩りと楽しむというレクリエーション的なところでした。
その様子が壁画に書かれています。
↓
一説によれば、聖徳太子も奈良の飛鳥から時間があれば、わざわざここに訪れて休養をしていたと言われてます。
当時はここに来るのには3日はかかりますので、特別な事がなければ来ないでしょう。
逆に言えば、この場所に何か感じるものがあったものと思われます。
さて、この万葉の森を少し奥に入ったところにも磐座があります。
船岡山の頂上の岩に掘られているのは、万葉集の代表的な相聞歌の歌碑です。
最後に船岡山の説明看板の写真を貼ります。
↓
次は船岡山のすぐ近くにある太郎坊に行きますy(^ヮ^)y
第1回近江磐座研究会の探索場所は東近江市の船岡山です。
場所はこちら
↓
大きな地図で見る
山と言っても、広くて少し高い公園のような感じで、登るという感じはありませんでした。
入り口のところにあった鳥居と祠(ほこら)にさっそく磐座がありました。
岩に囲まれた祠に人為的に出来たような感じでした。
船岡山は万葉の森と呼ばれていて、天智天皇7年(668年)大津京があった頃、天皇一家や侍女達が大津から船に乗り、この地で男は鹿の袋角をとり、女は薬草狩りと楽しむというレクリエーション的なところでした。
その様子が壁画に書かれています。
↓
一説によれば、聖徳太子も奈良の飛鳥から時間があれば、わざわざここに訪れて休養をしていたと言われてます。
当時はここに来るのには3日はかかりますので、特別な事がなければ来ないでしょう。
逆に言えば、この場所に何か感じるものがあったものと思われます。
さて、この万葉の森を少し奥に入ったところにも磐座があります。
船岡山の頂上の岩に掘られているのは、万葉集の代表的な相聞歌の歌碑です。
最後に船岡山の説明看板の写真を貼ります。
↓
次は船岡山のすぐ近くにある太郎坊に行きますy(^ヮ^)y
Posted by 近江磐座研究会 at 22:03│Comments(0)
│船岡山