小林正観さんの近江高天原説-その2

2012年01月19日

小林正観さんはもう一つの観点から高天原が近江にあると言っています。


「私は磐座(いわくら)の研究家でもあるんですが。

きれいな三角山を日本では古来から神名備山(かんなびやま・神なびいてる山)というふうに呼んできました。

三角形のきれいな形をしている山は、湖東にはどのくらいだろう、30個ぐらいあるのかなあ、その30に全部登ったんです。

その全部の山に磐座があるんですよ。

60トン、70トンの岩を縦横に組みつんで、頂上をつくってるんです。

その磐座をつくって歩いた民族が存在するらしい。

全部の山に磐座がある。

まさに磐座の集積地です。

今のクレーンでも百トンの岩は持ち上がらないと言いますからね。

これがまず近江平野が高天原だっただろうという根拠の一つです。」



湖東平野の磐座を調べていくと、共通項があるのではないか。

その共通項を調べていくと、近江に高天原があったという証拠を見つけることが出来るのではないか。

その小林正観さんの提案を元に、実際に湖東の磐座を調べてみようということで、近江磐座研究会が発足されました。


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この記事へのコメント
イザナギ、イザナミが多賀に住んでて、高天原が伊吹山近辺だったとの説も聞いた事があります。
基本的には、富士とか位山の説も強いとは思いますが、巨石文明時代は重力コントロール装置が存在したり、ピラミッドはエネルギー発生装置との説が明らかになりつつありますから、滋賀県にも、そうした先代文明の遺跡が残り、現代日本のエネルギー問題を根本から支えてくれますように願います。
ノアの洪水以前に、日本に先史文明が存在したとしたら、こうした遺跡を調査して、先史文明を復刻出来ればと期待してます。
Posted by 仮名 at 2012年01月20日 01:09
コメントありがとうございます。

大正時代に近江高天原説を唱えた方が2人います。

その方の情報も加味しながらこれからもやっていきます。

ありがとうございます。
Posted by 近江磐座研究会近江磐座研究会 at 2012年01月20日 19:48
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